未来のDJはDAWとは!

 

未来のDJはDAWとは!(デジタル・オーディオ・ワークステーション)

 

初めに私がコンピューターを活用しだしたのが、1993年、厚みのあるモニターと白い無機質なBox、HDDが160 mbのMac(LCⅢ)でした。無論お分かり頂けるとは思いますが音楽をMixしてスムーズに動くわけもなく、なんだ!この高いガラクタは!と思っていました。それが当時の私の音楽用コンピューターいわゆるPCの始まりなのです。これからはPCと訳して進めさせていただこう。(当たり前か!)(笑)

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 35歳以下、いや30歳以下の人には全く想像がつかないかもしれませんが、これが一般家庭のPC時代と言うか歴史でもあります。

 つまり、一般的な家庭で音楽や、まして映像を総合的に自由に、そしてスムーズに使えるようになってきたのはまだ、ここ10~15年の話なのです!

趣味で音楽鑑賞、画像編集、少し上を目指し動画編集とPCがスムーズに、そして快適に動く環境が整ったのはつい最近の話なのです。

 DJがアナログ時代からデジタル時代に本格的にシフトして世の中に浸透し始めたのもまだ、10年足らずです。各種メーカーがしのぎを削り、日本が誇ってきたPioneerもDJ機器から撤退!DJの未来はどうなるのだろうか?!・・・(個人的に勝手な心配)

 ここからが本題!DJを楽しんだり、プロDJを目指したりする前にどうしても将来避けて通れないのがDAWなのです。PCDJが将来本格的スタンダードになる近未来?!必ずDAWありきというか、セットと言うか確実に当たり前の様に組み込まれていくでしょう。

今のDDJ-SX-2でさえクオンタイズやピッチべンデットなどDAWで当たり前に使っている機能が入り始めているのですから!!!

 いずれDDJ-SX-2やDDJ-SZなどの後継モデルのプロ仕様のスペックにも、DAWソフトを使わなくても直接モニターにMIDI変換やスライスなど簡単に楽しめるDAW的機能が導入されるでしょう。

(Live9を使えば簡単に今でも出来ますけど)

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 要するにDAWの良いとこ取りが、ドンドン追加されていくようになると思います!

ですからDAWソフトの機能がわからないと今のスマートフォン(ポケットサイズPC)のように機能の10%も使わないってことになるでしょう。自動でピッチ合わせした曲を適当にフェーダーの上げ下げだけで、スキル無しのパフォーマンスやなんちゃってDJ!が増殖していくだけになると思います。

DJもすべてが自動化!

(車と一緒?もしかして電脳ロボットDJ=通称・ AIDJ ‐エイド・ジェイ・・・)

(笑)そんな事あるわけ無いか!

 あくまでも想像の世界ですが、まんざらでも無いような気もします。話は戻りますが1993年から見ても今のDDJ-SX-2の機能やMacで使えるDJ用ソフトやDAWは凄いです。いや凄すぎます!1984年頃のアナログ中心の機材から見れば今はかなりSFです。

 一般にDJが浸透していくのは非常に良い事なのですが、その浸透の仕方とアフターフォローが日本には無さすぎる様な気がします。メーカーは売るだけにしか力を注げず体力がなくなり衰退していく。販売側は育て方の迷路に迷い出口がわからない。DJプレイヤーは経験もさほど積めず舞台に立ち、勢いだけで進んで行く。リスナーはどんな曲が良いのか分からない(自然になじめない)これだけのSNS情報社会なのにも関わらずです!

 このギクシャクな理由は文化なのだと思います。日本には音楽(洋楽)を小さいころから聞く(自然に)文化がないので、いきなり二十歳前後で洋楽を聞いても中々なじめないのです。ですからそこから変えないと一時的な流行りで(洋楽=DJ)終わると思います。

 もう終わっているかも・・・(笑)

 決して未来が無いわけではありません。小学校の体育の授業にダンスを取り入れたりと少しは変わって行こうとはしていますが、そこで止まっているような!

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昔の英会話と一緒ですかね。日本の学校での英語の授業でそのまま海外に行くと役に立ちますか?・・・

 想像すれば一目瞭然です。音楽の場合も同じです。いやもっと遅れているかも!

どうしましょー!?

 色々な案は浮かびますが、それが果たして良いモノか、悪いモノか?

 ・アニメでDJ関連のものを創るとか?

・ベビー関連グッツにDJ(洋楽)テイストを盛りこむとか?

 

 他にも沢山案は有りますが切りがないので一例だけのせておきます。子供時代から自然と洋楽に触れ合える環境の中で育たないと変わらないと私は思います。

 世界に誇れるスーパーDJが、日本から生まれるのもそういう流れが無いと難しいのではないでしょうか。だからDAWなのです!

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 リズムマシンから始まり今やPCでDAW。Beat作りから音加工、素材作りなどやる事はまだまだ沢山あります。Liveパフォーマンス(Clubやコンサート、パーティー等)のDJもこなしながら自宅スタジオでは曲作りやMix編集と加工など。ただクラブでDJしてるだけのDJはもうDJじゃない時代がすぐそこまで来ています。

DJ=ミュージシャンと言うわれる時代が、当たり前になる時代が!日本はかなり遅れていますが、追いつくのでしょうか?それとも日本独自のガラパゴススタイルでごまかすのでしょうか?・・・正直分かりません。

 世界のDJがDAWと言うスタイルを確立していく前に、日本のDJが早めに取り入れることが出来れば追いつくような気がします。間違ってはいけないのが邦楽でやっても世界の舞台には立てません。(売れてから後ですればいいことです。)

洋楽=海外のメジャーチャートに認められるDJでないといけないということです。

 いかがですか?

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偉そうに聞こえたならすみません。ただ未来の日本DJの事を考えるとつい熱くなりまして。私自身も決して有名DJではなかったのにと怒られそうですが・・・

大人のたわごとです。(笑) 流してください。

DAWの必要性や機能のすばらしさはこれから少しずつご紹介していきたいと思いますので機会が有りましたら又のぞいてください。

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実はEDMの原型になっているかも!?

実はEDMの原型になっているかも!?

 ‘80s

 Pick Up

 今回取り上げるのは、1981年から1984年までに良く車で流していた曲をピックアップ。 気分転換に夜の高速に乗り、コーナーを攻めて(攻めたと言っても速度60km!ビビリな者で(笑))スピードと光の世界にとけ込めるバッググラウンドアーティスト、ディペッシュ・モードです。

彼らのデビューのきっかけは、東ロンドンにあるパブ「ブリッジハウス」のステ−ジで演奏を見た、ミュート・レコードのダニエル・ミラーに声をかけられたことが始まりです。この出会いが、ディペッシュ・モード、つまり彼らの運命を大きく変えました。彼らは1981年2月にデビューシングル「Dreaming of Me」を発表。 全英チャートで57位を記録。そして「Just Can’t Get Enough」では全英チャート最高8位と大きな成果を出していきました。発表したアルバム『ニュー・ライフ』は全英チャート10位を記録し、雑誌から好評価を得ます。当時、日本の関西エリア(とくに京都、大阪、神戸)クラブディスコ(ポップディスコ全盛時代“地下の小さなハコ”でアンダーグラウンドばかりを流していたお店の事)で流される機会が多くなりました。1983年頃の時代はニュー・ウェーヴの最盛期であり、新たなジャンルの波とウネリが来ていました。個人的にも大好きなジャンルのひとつです。

元々、学生時代の結成されたバンド(no romance in china)で活動していて1980年に(composition of sound)を結成し、3人組で活動。1981年に新たなメンバーを加えた体制のバンド(Depeche mode)でプロデビュー。ヴォーカル、ギター、シンセサイザー、の組み合わせと言うバンドスタイル。特にシンセサイザーを軸にした印象のバンドです。個人的にはインストゥルメンタルの作品のインパクトが強かった気がします。(夜の高速道路のB.G.Mも勿論インスト)

しかし1987年に発表された『ミュージック・フォー・ザ・マスィズ』頃からメンバーの人間関係のすれ違いが生じはじめ、苦労を重ねたようです。現在も活動はしている様ですが、大きく表舞台に露出されることはないです。

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 ディペッシュ・モードのシンセ音源(デジタル音源)は、今のEDMに大きな影響を与えていると思います。45歳以上の方ならスグにディペッシュ・モードね!と聴けば分かりますが20代、30代の方はそれ誰?と思うのでは。ましてやデビュー当時のディペッシュ・モードなんて!・・・

でも20、30代のリスナーでもダフト・パンクはご存知でしょう。彼等も少なからずディペッシュ・モードの影響を受けています。深くさかのぼれば、デジダル音源のテクノとファンク(テクノは、Y.M.Oやクラフトワーク/ ファンク要素はハービン・ハンコック)の影響、その間にあるのがシンセ主体のディペッシュ・モード初期のインストと言う事になると思います。

ダフト・パンクのワン・モア・タイムはダッキングというエファクト要素をふんだんに使い、今のEDMの原型にもなっています。

つまり、エレクトリック・ダンス・ミュージック(EDM)はデジタルエファクトをふんだんに使い、踊れる要素を入れた音楽という訳です。

いかがですか!今のEDMがディペッシュ・モード影響論!!!

信じるか!? 信じないかは!?  あなた次第です!

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あなたは、夏のエネルギーバンドご存じですか?

あなたは、夏のえなるぎーバンドご存じですか?

Pick Up

=RAH BAND=

 今回のお気に入りの1枚はラー・バンド。

女性ボーカル中心の英国JAZZバンド。今は【2016】何かとイギリスがEU離脱などで話題になっていますが、30年以上たってもクスムことの無いアーティストです。

JazzにFUNKのエッセンスをいれたメローなメロディーラインが特徴のバンドです。比較されていたのがシャカタクですが、演奏スタイルが全く違って、リードは楽器主体では無く, 女性ヴォーカル主体の ファッショナブルJazz  Funk Bandなのです。

ラテンのエッセンスも入っているので、おしゃれな女性やイキな男女の生活の背景に合うと言うか!マッチするというか!B.G.Mにとてもハマります!(笑)

難しい説明は抜きにして、一般の音楽ファンが日々の生活の中で癒される音楽を どれだけ求めているのだろうか!?っと!

かなり多いと私は見ている!!!!!

今は、田舎暮らしですが、都会のCoolさは、良くも悪くも知っています。都会の冷たさに負けそうな瞬間(とき)是非このバンドのアルバムを聴いていただきたい!!

きっと!いや!必ず?

エネルギーに変わるはず!

それがRAH BAND です。

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他に、同じようにエネルギーになるバンドを上げるのであれば、レベル42や少しエッセンスは違いますがS.O.S Bandなどがあります。詳しい内容は、またの機会に紹介しようと思います。

話は少しそれましたが、Rah Bandは本来は実体のないバンドです。

リチャード・ヒューソンのプロデュースバンド!いわゆるパーソナルバンドであるわけです。 6名の女性ボーカリストを集め、自分が作ったメロディー(曲)にボーカルをつけ、 構成したバンドなのです。それにも関わらず”まーぁ”素晴らしすぎるバンドなこと!!

彼の経歴は調べていただければ直ぐに凄い人物だと分かるでしょう。ラー・バンドのプロデューサーだけでなく過去に’70sの話題のアーティスト(ビージーズやCSN&Yなど)の裏方にも携わり、オーケストラの指揮者もこなしメロディアスな曲を英国風たっぷりにアレンジし奏でるのです。つまり凄い御方なのです。

個人的におすすめするのが、テアーズ&レイン(Tears&Rain)まさにラーバンド中のラーバンド!DJのパートごとに流していたのを思い出します。12”シングルバージョンはファンのみならず是非聴いていただきたい1枚です。サックスのソロがたまらなくイカシテいてアコースティックなメロディーにDJ PLAY中いつも聴いて酔っていました。

次にパフュームド・ガーデン(Perfumed Garden) トロピカルなメロディーにサンバ テイストなビートメイク!夏を感じさす恋のそよ風の様な曲でありながら、おしゃれ感タップリのムードサウンドなのです。

【まあ、この頃回していたのがサンバクラブでしたから・・・】(笑)

他にも紹介したいのですが今日はこれくらいで!

機会が有れば一度聴いてください。イカシテますよ!このBand !!

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日本の20世紀DJと21世紀DJの違いとは!

DJ番外編=

日本の20世紀DJと21世紀DJの違いとは!

70年代80年代の女子会での彼氏話での一例

『ねー、彼氏どんな仕事しているの?』 『DJ—!』『えっ!DJェー、どこのお店?行こうー行こうー!』でした。(ほとんどが)

しかし2000年ごろから世の中の風潮も変わり

2000年代の女子会での彼氏話での一例

『ねー、彼氏どんな仕事しているの?』 『ん〜、DJ—』『えっ!DJェー、大丈夫??女クセ悪くないの?早く別れた方が良いよ!!!』

こんな感じです。
分かって頂けていますかねー。 このニュアンス!(笑)

DJじゃなくとも、女癖が悪い人は沢山います。職種によって勝手なイメージを持つ方が多いこと・・・。

一流企業のエリートの方で何股もしている方も多く見てきましたし、カメラ関係の仕事をしている方で、自分の結婚式なのに!!他の女性たちと披露宴中にトイレでエッ●をしまくっているのを目撃したり。と(見たくも無いのに)、意外と世間で真面目なイメージの職業の方のほうが、大胆だな〜と!いつも思っていました。

日本には、祭りと言う文化はあってもパーティーと言う文化がありません。
海外の様にスクール(高校)時代に卒業時の最大イベント(プロム)が無いと言うか、根付いていないと言うか。パーティーイコールダンス(ペアで踊る)のセットになっていないのです。つまりDJと言う【職人カテゴリー】概念が無いのです!

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パーティーが楽しく進行していくのには、お酒や食事も大切ですが音楽も非常に大切なのです。お酒&食事&ダンスとセットになってす。

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【年齢別でDJスタイルも違う&バンドも使ったりと様々】

・お酒を作るのが(バーテンダー)

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・食事を作るのが(シェフ)

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ダンスフロアを作るのが(DJ)

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大げさに言うと音楽がないと何かもの足りないと言うか!味気ないと言うのか!パーティーが成り立たないと言うか。バーテンやシェフと同じカテゴリなのです。音楽を一つの文化としてとらえている外国では当たり前的なことでも、日本人にしては一時的な流行の1つなのかも知れません。

近頃、日本にも海外の多くの人が旅行に来ています。日本の音楽に対しての捉え方に、 ズレがある!音楽に対してオカシイ?と疑問視される声が高まり、最近仕方なく法律が動いたのだと思います。それが風営法改正(2016年6月現在)です。多くの外国人(海外メディアの力・影響)からの指摘で改正されましたが、長くつづいて欲しいモノです!(12時以降クラブ営業応援団の意見)

(あくまでも個人の見解です。)

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’80s・ピックアップ

DJ Mix ‘80s

Eddy Grant / Electric Avenue 

本日のピックアップアーティスト

 

1983年頃はポップアーティストといえばマイケルジャクソンがチャートを独占していました。この頃彗星のごとく現れた(エディー・グラント)。初めてのソロで全米チャート2位ミリオンセラーヒット。多くの音楽ファンがこの時彼を知ったのです。

しかし、エディーは10代の頃白人と黒人からなるポップバンド、イコールズを結成していました。グループはデビュー間もない’68年に(ベービー・カム・バック)でヒットしていましたがその後が続かずフェードアウトしていきました。

音楽的センスがあったエディーは、音楽会社を設立しプロデュース業に専念する日々を過ごしながらチャンスを狙っていたようです。それが15年ぶりのヒット曲’83年の(エレクトリック・アベニュー・全米チャート2位)です。

見事カンバックしたエディーは、スマッシュヒットをだしアーティストとして返り咲ます。

’83年頃は、ブラックアーティストと言えばマイケル!そんな中エディーが現れ、ポップなブラックミュージックの概念が変わった感があります。

大阪と東京のサンバクラブで回していた頃、ミドル(もり上がりの前)でよくかけていました。分かりやすい歯切れのあるビートなのでウケも良く繫ぎやすかったです。’80sの中ではポップ中のポップですね!マニアうけはあまりしていなかった気がします。女性にうけていましたので夏頃はDJのマイ・パートでかけていました。

いかがですか!

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今回のPick Upアーティスト。一度聞いて見ては!あなたのお気に入りの1枚になれば良いですね!

 

Eddy Grant / Electric Avenue 

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DJ Mix ’80s (懐かしのヒット曲)

DJ Mix ’80s(They Don’t Know)

1984 pick up Sound

 トレシー・ウルマン/恋するトレイシー(They Don’t Know)

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今日の紹介は、懐かしい1984年にヒットした曲をピックアップしていきたいと思います。

トレイシー・ウルマンと言うアーティストをご存じですか。女優である彼女は正確に言えば83年に歌のセンスが認められ女優がスターになりました。

たまたま美容室で同席したレコードの社長の奥さんと話をしていて、うちのスタジオで歌ってみないと話を持ちかけられます。そのチャンスを生かし、そして瞬く間にヒットチャートを駆け上がります。そして彼女は、歌手をやるのも悪くないと思い始めます。彼女のスタイルは80年代でありながら60年代のポップスを再現したかの様な心躍る楽しいアルバムに仕上がっています。

どの収録曲もシングル向きで一1番目に選ばれたのか(夢見るトレイシー)と言うメロディアスなバラードです。

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そしてチャートでは全米8位にまでランクアップ、そしてプロモーションビデオまで作られました。

 トレシー・ウルマン/恋するトレイシー(They Don’t Know)


DJ Mix ’80s(I Can Dream About You)

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続いて84年に好きだったアーティストをもう1枚ご紹介します。

ダン・ハートマン彼はシンガーソングライターでありビートの効いた曲が主体のポップアーティストです。今では懐かしいカセットテープに自作の曲を10曲以上収録し、大手プロダクションに送りチャンスをつかみました。

13歳の頃から音楽活動を活発にしていましたがだれも彼の才能を見出せませんでした。18歳頃デモテープをきっかけにオーディションを受け合格。その日を境に彼の人生は大きく変わります。グループ時代はさほど目立つ存在ではなかったですが作曲活動だけでなくレコーディングエンジニアやプロデューサーとしても才能を発揮していました。

76年あたりからソロ活動でアルバム作りを始め精力的に活動していました。84年にMCに移籍し映画音楽を担当する仕事が舞い込んできました。それが全米ヒット8位のストリート・オブ・ファイヤー(あなたを夢見て)です。機会があれば1度聴いてみてください。いい曲です。

 *ダン・ハートマン/あなたを夢見て(I Can Dream About You)

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熱くなるほどに DJ mixの大きな壁!著作権問題

DJ Mixの大きな壁!著作権問題

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色々な方の音楽系ブログを拝見させていただいて、感じたことは今は、ホント大変な音楽時代(DJ氷河期)だなッと思います。このブログを立ち上げ、すぐに風営法改正のニュースが飛び交い、少しは日本のクラブシーンも変わるでしょう・・・
しかし、ホントに変わるの???


音楽の土壌が育っていないのに大丈夫!?色々余計な心配をしてしまいます。


私は、この状況下でヒラメキました。沢山の mixを作ってみんなに聞いてもらいたい。
聞いてもらえる?・・・分かりません。〔笑〕

完全オリジナル曲オンリーのEDM mixで! がんばろ!!! 

趣味で終わるか、それとも・・・まあ、好きな事ですし得意な事なので楽しくやります。

大人のたわごとです。

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